『団塊の世界「黄金の十年」が始まる』 堺屋太一著 200510月 文藝春秋

 

 

堺屋太一が小説「団塊の世代」を発表して、すでに30年が過ぎようとしている。団塊の世代は、まさに戦後の経済成長を謳歌し、そしてモーレツ社会を作り出すことで、日本の社会に大きな影響を与えてきた。

 

しかし、その団塊の世代も定年に入りつつある。このことが、老齢化社会の到来、年金問題、そして日本社会の活力喪失といった不安がなんとなく現実味を帯びて語られていることと相まって、これからの日本の下向きな社会の到来を暗示するかのようにも思えてくる。かくいう私もその団塊の世代の末席にいる。

 

堺屋は、定年後の「団塊お荷物論」を否定する。戦後の「終身雇用」と「職縁」に基づいた日本型特殊社会を築き上げ、ここに来て定年後の不安に脅えているかのような団塊の世代が、実は新たに高齢者市場を作り出し、自らの新たな雇用を作り出すという彼の考え方は理解できる。

 

もちろん、60歳代に入った団塊の世代がこれまでのような高い報酬を稼ぎ出すわけではない。だが、規格大量生産型の工業社会を完成させ、そして知価社会の到来に道を開いた彼らは、定年後の60歳代そしてさらに70歳代においても、新しい社会を創造する潜在力を持っている。

 

なぜならば、60年代以降の高度経済成長の中で、公害問題、石油ショック、急激な円高を克服し、さらにはバブル経済の崩壊からの立ち直りに至るまで、社会の最前線で戦ってきた彼らには、常に未曾有の危機を克服し、新たな仕組みを作り出す知恵とバイタリティがあるからだ。

 

確かに、高度情報化時代の到来の中で、会社という組織においても、団塊の世代は、実質的に次の世代に席を明け渡しているが、ITについて行けなくなっているわけではない。戦中派以前とは異なり、それを受け入れ、使う技量を持っている。

 

幸い、彼らは平均で見れば資産をすでに持っており、働くことを生活費の確保に結びつける必要はない。私の周りを見ても、定年を機会にNGOを立ち上げたり、あるいは新たな起業に向かったりする人が結構いる。そこにあるのは、過去の職縁時代のような企業の成長だけを目的に走ってきたモーレツサラリーマンではなく、優しさに気がついた人生の達人でもあるのだ。

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の2006821日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>

 

 

 

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